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東京地方裁判所 昭和59年(合わ)355号 判決

主文

被告人甲野太郎を死刑に、

被告人乙野次郎を死刑に、

被告人丙野三郎を無期懲役に、

それぞれ処する。

被告人甲野太郎から、押収してある普通預金払戻請求書一通(昭和六〇年押第四六七号の1)の偽造部分を没収する。

押収してある胸像一体(同号の2)及び油絵一点(同号の3)を被害者Aの相続人に還付する

理由

第一当裁判所の認定事実

一被告人三名の身上・経歴等

1  被告人甲山太郎こと甲野太郎は、昭和一四年四月一五日岡山県真庭郡二川村において、農業等を営む亡父甲山一郎、母フミの四男として出生し、地元の小、中学校を経て、昭和三三年三月岡山県立勝山高等学校を卒業した後、同年九月警視庁巡査に採用され、警察学校で一年間の教育を受け、大森警察署警ら係を振り出しに、警視庁第一、第八機動隊、東村山警察署等で勤務し、昭和四四年六月巡査部長に、昭和五〇年二月警部補にそれぞれ昇進し、この間、昭和三六年四月甲野花子と婚姻し、同女との間に二男を儲け、生活費、住宅購入費、教育費等の出費がかさむうちに、見栄っ張りで金銭面にルーズな性格も手伝って借金を重ね、妻の強い反対を押し切り、昭和五五年一月辞令面で警部昇任の待遇を得て退官し、その退職金で借金の穴埋めをせざるを得ない窮状に立ち至った。

退職後、被告人甲野太郎は、第二の人生として、料理店を営むべく、同年四月都内新宿区内において「××」の屋号で大衆割烹店を開店する運びとなったが、もともと手持資金が殆どなく、全て金融機関からの借入金で賄うほかなく、しかも営業の見通しを十分検討した上のことではなかったのに、在職当時の同僚、知人らが善意で同被告人の再出発を激励してくれた手前、今更後へ引けないという見栄もあって開店に踏み切ったものであるため、当初警察関係の祝儀客などで賑わったものの、同年秋ころには経営状態が悪化し、親類をはじめ、警察在職当時の同僚、部下らから手当たり次第借金をし、更に高利貸からも借入れを重ねた結果、昭和五八年六月ころ借入金総額が約一億五、〇〇〇万円にも達し、同年八月「××」を閉店するのやむなきに至った。その間、同被告人は、女性問題を起こして妻花子と不和となるとともに、妻に債権者の督促が及ばないようにするためもあって、同年六月同女と協議離婚をした。

その後、被告人甲野太郎は、債権者らからの厳しい督促に追われながら、不動産ブローカーなどの手伝いをするうち、暴力団関係者との付き合いを生じ、預かった手形の不始末から自己の左小指を詰めさせられる羽目に陥って、自暴自棄の生活を送り、当時「甲山」の姓では金融業者から借入れができない状態であったところから、姓を変更すべく、昭和五九年四月無断で花子の実母甲野ハツとの養子縁組届をし、以後「甲野」姓を名乗るに至った。

2  被告人戊山大吉こと丙野三郎は、昭和一一年四月八日鹿児島県川邊郡加世田町において、亡父丙野一夫、母己野ハツの三男として出生し、昭和二六年三月地元の中学校を卒業した後、大阪市、和歌山県等で工員、石切人夫等として働き、昭和四三年ころ上京して、韓国食品販売業、金融業等を営み、昭和四七年ころ戊山梅子と知り合って同棲し、「戊山大吉」と称するようになり、同女との間に三女を儲けたが、昭和五〇年貸金の回収をめぐり相手方に暴行を加えた事件で罰金に処せられ、以後正業に就かず、ゴルフなどに熱中した生活を送るうち、新型のゴルフ手袋を考案し、その製造、販売を目論み、昭和五六年秋ころ、七、八年前からの知り合いで金銭的に迷惑をかけたまま不義理をしていた被告人乙野次郎の許を訪ね、厚かましく右営業の有望性を説いて資金援助をさせることに成功し、昭和五七年に入り業者に手袋の製造を発注するなどして営業を始め、同被告人から総額約七、〇〇〇万円にのぼる融資を受けたものの、営業成績が上がらず、同被告人の分のほか、有限会社津島手袋に約一、五〇〇万円、金融業石川商事に約一、五〇〇万円などの未払債務を負ったまま、昭和五八年秋ころ、再び被告人乙野次郎に不義理をして消息を断った。

その後、被告人丙野三郎は、なおも右営業を継続すべく、昭和五九年春ころ、東京都内のヤタガイクレジット株式会社に協力方を要請し、同会社がゴルフ手袋を販売する条件で同会社振出しの額面合計一、六〇〇万円の約束手形の融通を受け、これに自ら裏書をして、金融業者で割引き、その一部を費消するなどしていたところ、同会社が倒産した上、右各手形が暴力金融業者に渡り、合計約一、六〇〇万円の債務につき裏書人としての責任を厳しく追及され、また、津島手袋からも暴力団に前記債務の取立てを依頼しかねない旨の督促を受けたところから、性格的に弱気の一面を有する同被告人は、これを極度に畏怖し、早急に多額の金員を都合すべく、次第に焦燥感を募らせるに至った。

3  被告人乙野次郎は、昭和二四年七月二日神奈川県愛甲郡荻野村において、寝具店を営む父乙野一雄、母松子の五男として出生し、地元の小、中学校を経て、昭和四〇年四月日本大学附属藤沢高等学校に進学したものの、学業を嫌って中途退学し、その後自動車修理工として働き、昭和四四年一二月親類の援助も受けて中古車販売業を営み、昭和五一年一月株式会社乙野住宅サービスを設立し、代表取締役として建売住宅の販売業に励み、この間、昭和四七年五月辰野竹子と婚姻し、同女の間に一男一女を儲け、順調な生活を送っていたが、比較的恵まれた環境で成育したこともあって、性格的にお人好しで、やや思慮に欠ける面があるところから、前記のとおり昭和五六年秋ころ、かつて金銭的に迷惑をかけたまま行方不明であった被告人丙野三郎が訪れ、ゴルフ用手袋の製造、販売が有望であるとして、資金援助を懇請された際、右営業の見通しなどを十分検討することもなく、同被告人の口車に乗せられて安易に承諾した結果、総額約七、〇〇〇万円にものぼる援助を行うに及んだものの、右営業が軌道に乗らなかったばかりか、そのうち自己の経営する前記会社の経営自体も不振に陥り、昭和五七年一二月同会社が約一〇億円の負債を抱えて倒産するに至った。

その後、被告人乙野次郎は、右負債の整理に努めるとともに、経済的再起を図るべく、パチンコ店経営を目論み、昭和五八年四月ころ会社を設立して開店準備を進めたが、地元住民の反対により公安委員会の許可が得られず、同年一二月ころ同社が倒産し、更に昭和五九年六月ころ浜松市内のパチンコ店の営業権を買取り、間もなく開店する運びとなったが、資金不足からたちまち経営不振に陥り、同年一〇月初めには閉店せざるを得ない状況となり、その間、無理な借金を重ねるうち、暴力団関係者との付き合いを生じ、その生活、女性問題等のため妻竹子と協議離婚をし、昭和五九年八月からデートクラブを営む愛人B方で無為徒食の生活を送るようになり、このころ負債総額が七億円余も残っており、かつて建売住宅販売会社の経営者として順調な生活を送った経験があるだけに、その境遇に自暴自棄の気持を強め、次第に荒んだ生活状態となり、金員入手のためには手段を選ばない心境に立ち至った。

4  被告人甲野太郎は、債権者ら、就中警察在職当時の同僚、部下らの切実な督促に苦渋し、再起を図るべく、昭和五九年六月千葉県船橋市内で「日本××リサーチ」と称するいわゆる興信所を開設したが、依頼者がなかった上、開業案内を出したため、債権者からの督促に合って追い詰められ、「××」営業当時に知り合った金融ブローカーCと組んで、連れ込みホテルを利用した男女の身元を調べて金員喝取を図り、あるいは、同人の知人である宝石ブローカーAの金品を窃取しようと企てるなどするうち、一攫千金を狙ってポーカーゲーム店経営を思いつき、同年八月初旬ころ、ヤタガイクレジット株式会社財務部長Dを介して、金主を紹介する触れ込みで、同会社と取引のあった被告人丙野三郎と面識を持つに至った。

被告人乙野次郎は、前記のとおり経済的再起を図ってパチンコ店経営の準備を進めるうち、資金調達のため被告人丙野三郎からの返済を当てにして、同被告人の所在を探していたところ、昭和五九年春、千葉県我孫子市内の居住先を突き止め、同被告人に対して窮状を訴えて資金の返済を迫ったが、同被告人に言い包められて、結局埒があかず、かえってこれを契機に再び相互に連絡を取り合う間柄となった。

ところで、被告人丙野三郎は、右経緯のとおり被告人甲野太郎と知り合ったが、もとよりポーカーゲーム店経営のための金主を紹介する当てなどなく、同被告人の経歴等から利用できるものを得るために付き合うに至ったものであるから、同被告人が早急に金主を紹介して欲しい旨要求しても、曖昧な応答をして時を過ごし、同年八月中旬ころ、同被告人に対し河口湖付近に建築中の物件についての売却仲介の話を持ち込んだり、また、都内足立区西新井所在の不動産についての融資斡旋の話を持ち込んだりしたが、いずれの話もまとまることなく終わった。

二犯行に至る経緯

被告人甲野太郎は、前記のとおり借金返済のためには不正な手段に出ることも辞さない気持になるとともに、被告人丙野三郎が金主を紹介せず、しかも同被告人から持ち込まれた金員入手の話がいずれも不首尾に終わったことなどから焦燥感を強め、一攫千金を狙うには強盗殺人による方法が手っ取り早いのではないかと考えるに至り、同年九月中旬ころ、被告人丙野三郎に対し、金持ちを拉致し殺害して金品を奪う話をしたところ、逆に同被告人から、川崎市内に住む韓国人資産家の隠匿金員を強奪する話を持ち掛けられるに及んで、同被告人の真意を確かめる余裕もなく、即座にこれに同調し、早速右強奪計画を実行するための準備をする手筈となった。

しかし、被告人丙野三郎は、もともと右強奪計画を実行する意思がなく、なんらその準備もしていないのに、これをしているように装い、被告人甲野太郎の再三の催促にも曖昧な応答をして時を過ごすうち、九月下旬ころ、知人から千葉県我孫子市天王台所在の土地を担保とする融資斡旋の話を聞き込み、これを同被告人に伝え、同被告人と一緒に介入して仲介手数料を得るべく立ち回る運びとなった。

ところが、間もなくその話は自称地主なる者が途中で姿を消して不成功に終わり、度重なる金員入手話の不首尾の結果に苛立った被告人甲野太郎は、最早自己の窮状を打開するためには、右天王台の土地の融資話に藉口して資産家を巧みに誘い出して殺害し、金品を強奪するほかないと考え、そのころ被告人丙野三郎に対し、その旨と殺害後の被害者を土中に埋めれば発覚しない旨を申し向けて、その協力方を求めたところ、同被告人も一応これに関心のある態度を示したので、とりあえず昭和五七年ころ知り合って金員を借り受けたことのある金融業者E(大正一一年一二月四日生)と連絡をとった上、九月二九日、同女を右天王台の土地に案内して融資方を懇請するに至り、その際被告人丙野三郎が地主の息子の友人になりすまして、これが極めて有利な融資話である旨言葉巧みに説明したことから、同女も乗り気になって三、〇〇〇万円程度の融資方を内諾したが、一〇月二〇日過ぎまで待たないと右金員を準備できない事情にあることが察知されたので、話を一旦中断せざるを得ない次第となった。

九月二九日及び翌三〇日の両夜にわたり、被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎は、東京都品川区所在の「ホテルパシフィック」において、今後の金策等につき話し合った際、被告人甲野太郎が知り合いの不動産業者F(昭和一八年四月一六日生)をEの場合と同様の手口で誘き出した上、拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出して預金を引き出した上、殺害することを申し向け、その協力方を求めたところ、結局、被告人丙野三郎もこれを了承するに至った。

その間、被告人甲野太郎は、Fと連絡をとった結果、一〇月一日に同人と面談する運びとなり、一方被告人丙野三郎は九月三〇日夜、二週間程前に金儲けの話があったら連絡する旨約しておいた被告人乙野次郎に架電し、地主の息子役を頼みたいので、「ホテルパシフィック」に来るよう申し向けたところ、同被告人は、これが犯罪がらみの話ではないかと思いつつも、これを承諾した。

一〇月一日午前九時ころ、「ホテルパシフィック」において、被告人丙野三郎は、被告人甲野太郎と被告人乙野次郎を初めて引き合わせたが、その際両者の本名を告げずに、それぞれの姓の頭一字をとって「ヘーさん」、「オーさん」という呼びかたで紹介した上、被告人乙野次郎に対して、被告人甲野太郎と直接口をきかないよう釘をさし、事が自分を中心として運ばれるよう配慮した。同日午後二時ころ、被告人甲野太郎は、都内秋葉原においてFと面談し、融資調査に必要な登記簿謄本等を手渡した上、同日夕刻現地を案内する旨申し入れ、同人の承諾があったものと思い込んで、被告人丙野三郎及び被告人乙野次郎を連れて現地で待機したが、同人が現れなかったため、再度同人と連絡をとり、翌二日現地で待ち合せる旨を約した。

同月二日午前九時ころ、被告人三名は、被告人甲野太郎運転の普通乗用自動車で「ホテルパシフィック」を出発して前記天王台に向かったが、その車中において、被告人丙野三郎が被告人乙野次郎に対し、「Fを拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出した上、殺害して埋める。都内には行方不明者がごまんといる。同人は悪い奴で憎まれているから、死ねば喜ぶ者が沢山いる。地主の息子役をやってくれれば、あとはすべて『ヘーさん』がやる。やるときは合図するから言われたとおりに動いて欲しい。」などと犯行計画の概要を説明し、その協力方を求めた際、同被告人も犯行後捕まらなければこれに応じてもよい気持になり、拉致された被害者を同車から逃がさないように予め後部ドアロックを壊しておく方法を教えるなどした。午前一一時ころ、被告人三名は、現地に到着してFと落ち合い、計画どおり同人を現地案内したところ、同人が融資話に乗り気になり、とりあえず一、〇〇〇万円を同日中に用立てる運びとなったものの、間もなく同人の地主に対する確認の電話連絡により、融資話の全く虚偽であることが看破されたため、右犯行計画を遂行するには至らなかった。

しかし、被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎は、Fが地主に確認の電話をしたことなどに筋違いの怒りを抱き、同日夜、被告人乙野次郎を伴い、国鉄高崎線桶川駅で帰宅途中の同人を待ち伏せして拉致しようとしたが、これも失敗に終わり、やむなく被告人三名で「ホテルパシフィック」へ戻る車中において、被告人乙野次郎が犯行計画の杜撰さを難詰するに及び、同車中から引き続き同ホテル内においても、被告人三名が犯行場所、犯行方法、被害者遺棄場所等について真剣に話し合うに至った際、被告人乙野次郎は自己が使用した山中湖畔にある別荘を殺害後の被害者の死体を埋める場所として提供してもよい旨申し出たが、その場では話を煮詰めることができず、結局、同被告人が同月四日出発の沖縄旅行から戻るころまでに、被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎において犯行の被害者等を具体的に決めておく段取りとなった。

その後、被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎は、強盗殺人の犯行の被害者となる者を物色するうち、同月五日夜、「ホテルパシフィック」において、Cの紹介により、同人の知人である宝石ブローカーA(昭和二三年九月二九日生)と会合し、席上、Aが持参した宝石類の説明をし、被告人丙野三郎が厚木に金持ちを大勢知っているので宝石類の買手を紹介する旨同人の気を引く話をして、同人と組んで資産家から金員を騙し取ろうとの虚構の引っ掛け話を持ちかけた結果、同人との間で同月九日にその話を進めるべく再会する旨の約束がされるに至ったところ、この間、Cが右被告人両名に対し、それぞれ、Aの所持する現金一、〇〇〇万円位を奪うことを持ちかけるという出来事があったことから、被告人丙野三郎は、Aと別れて帰りの車中において、被告人甲野太郎に対し、同被告人がCに犯行計画を打ち開けていることを難詰し、口の軽い同被告人が信用できないので、犯罪がらみの話をこれ以上一緒に続けたくない旨表明するに及んだが、一方被告人甲野太郎は、これによりその強盗殺人を敢行して金員を入手したい気持に動揺するところがなかった。

三罪となるべき事実

1  昭和五九年一〇月八日午前中、被告人甲野太郎は、千葉県船橋市前原西○丁目○○番○○号所在のダイアパレス△△○○○号室「日本××リサーチ」において、Aから「五日に話のあった厚木の方の都合はどうか。明九日私は準備できる。」との電話連絡を受けるや、ここにAを拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出して預金を引き出した上、同人を殺害することを決意し、同人の右連絡に応ずるもののように装い、翌九日午後二時三〇分ころ都内豊島区所在の「池袋プリンスホテル」ロビーで待ち合わせることを約した後、被告人丙野三郎に電話連絡をして同被告人とも右日時場所で一応落ち合う手筈とし、右日時場所で右三人が出合う運びとなったが、厚木の金持ちに扮する筈の被告人乙野次郎が沖縄旅行から帰ったばかりで急な呼び掛けに応じなかったため、被告人丙野三郎がAに対し、先方の都合がつかないなどとその場を取り繕い、結局、被告人甲野太郎、被告人丙野三郎両名と同人との間で、明後一一日同時刻同場所で、再度待ち合わせることを約した。

同月一一日午前中、被告人甲野太郎は、千葉県我孫子市寿○丁目○○番○○号所在の△△マンション○○○号の自宅にいた被告人丙野三郎と電話連絡をとり、同被告人に対して同日の前記待ち合わせにつき被告人乙野次郎への連絡方を依頼した際、当時厳しい未払債務の取立てに早急に金員を調達する必要に迫られていた被告人丙野三郎において、Aを拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出して預金を引き出した上、同人を殺害することにつき、被告人甲野太郎との間に意思を相通じた上、「よし、分かった。」と答え、その後被告人丙野三郎が東京都国分寺市東恋ケ窪○丁目○○番○○号所在のグリーンヒル△△○○○号B方に架電し、電話口に出た被告人乙野次郎に対し、「今日やるから午後二時に『ホテルパシフィック』に来てくれ。宝石の買主をやってもらう。背広で来い。」と申し向けるや、ここに被告人乙野次郎においても、Aを拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出して預金を引き出した上、同人を殺害することにつき、被告人丙野三郎との間に意思を相通じた上、「分かった。行く。」と答え、ここに右被告人三名の間において、Aを殺害して金品を強奪することにつき順次共謀が成立した。

そして、同日午後二時三〇分ころ、被告人甲野太郎は、Aと約束した「池袋プリンスホテル」ロビーで落ち合い、被告人乙野次郎と合流するため「ホテルパシフィック」に赴いた被告人丙野三郎に電話連絡をし、同被告人の指示により、同被告人と都内赤坂見附の喫茶店で落ち合うべく、自己の運転する普通乗用自動車にAを乗せて同所に向かい、一方、同日午後二時ころ「ホテルパシフィック」に着いた被告人乙野次郎は、同所で被告人丙野三郎から場所の変更により、渋谷区所在の「渋谷東急イン」で待機するように指示されて、同所へ向かった。同日午後三時過ぎころ、前記赤坂見附の喫茶店において、被告人甲野太郎、A及び被告人丙野三郎の三人が落ち合い、同所で被告人丙野三郎がAに対し、厚木の金持ちが「渋谷東急イン」で催されている将棋の会に来ているので、同所で同人を紹介する旨嘘言を弄し、これを真に受けたAが所携の指輪で相手から金を引き出す段取りを説明するなどした後、右三人は被告人甲野太郎が運転する同車で「渋谷東急イン」へ向かった。同日午後四時過ぎころ、右三人は「渋谷東急イン」前に到着し、被告人丙野三郎が車から降りて同ホテル内に待機する被告人乙野次郎と連絡をとるうち、被告人丙野三郎は自己の指図どおり事が運ばれていることに気遅れが生ずるとともに、持前の弱気の一面が出て、車から降りてきた被告人甲野太郎に対し、犯行の日延べ方を打診してみたところ、同被告人から強く反対され、犯行は今日をおいてほかにない旨説かれるや、これを了解して、従前どおり犯行を遂行する意思を固めた上、駐車場所まで戻り、車内で待つAに対し、被告人乙野次郎を厚木の地主の息子で宝石等の買主である旨紹介するなどした後、後部座席に被告人乙野次郎及びA、助手席に被告人丙野三郎がそれぞれ乗り、被告人甲野太郎が同車を運転して、午後五時ころ、同所を出発し、被告人丙野三郎の指示により厚木方面へ向かった。その後、同車は厚木インター及び厚木市街を通過し、午後六時過ぎころ、厚木市上荻野所在の中華料理店「鶴声飯店」で駐車して、同店で四人が食事をとり、暫時休憩した後、再び出発して、被告人丙野三郎の指示に従い、元株式会社乙野住宅サービス(代表取締役乙野次郎)所有の山中湖畔の別荘に向かって走行し、途中、被告人乙野次郎は隣席のAから話しかけられないように寝たふりをし、被告人丙野三郎はAが警戒心を抱くことのないようあれこれ世間話をするなどしながら走行して、同日午後九時ころ、山梨県南都留郡山中湖村平野字中尾○○番地○○所在の元株式会社乙野住宅サービス所有、現G所有の別荘に到着した。

同別荘は、長期間不使用のため、電気、水道が断たれ、居住に利用できない状態であったが、被告人丙野三郎がAに対し、ここに裏金を隠してある旨虚言を弄して警戒心を解いた上、同人を右別荘内に誘導し、同別荘二階八畳間において、点灯した懐中電灯を置いた座卓を囲み、被告人甲野太郎、A及び被告人乙野次郎が座り、Aが買主役の被告人乙野次郎に対し指輪、絵画等の値打ちを熱心に説明し始めたところ、階下から二階の階段踊り場に上がつてきた被告人丙野三郎が被告人甲野太郎を手招きして呼び寄せ、「そろそろ始めろよ。」と犯行を開始するように指示し、これを了解した被告人甲野太郎において、元の席に戻るや、Aに対し、「芝居はやめだ。まだ分からないのか。馬鹿野郎。」などと怒鳴りつけ、同人の背後にまわり、その両肩を掴み、同人に対し所携のトランクを開けるよう申し向けると、被告人乙野次郎もこれに応じ、驚いて逃げようとする同人の胸元辺りを掴むなどし、二人がかりで同人を取り押さえようとしたが、同人が激しく抵抗したため、取り押さえられず、途中から被告人丙野三郎においても加勢して同人の身体を蹴るなどするうち、部屋中を逃げ回っていた同人が勢い余って西南角の押入れ付近にうつ伏ぶせに倒れこんだ際、すかさず被告人甲野太郎において同人の背中に馬乗りとなり、被告人乙野太郎において同人の右上腕部辺りを押さえ付ける体勢になったところ、被告人甲野太郎において、同人の抵抗ぶりからみて、同人を縛り上げて預金の口座番号等を聞き出すことが無理であり、他人に気付かれずに済ますため、ここに至っては一気に同人を締め殺すほかないと決意し、被告人丙野三郎及び被告人乙野次郎に対して、「このままではしようがない。やるぞ。」と声を掛けてその旨了解を求めると、右被告人両名においても、これを了解した上、被告人丙野三郎において「よし、やれ。」と、被告人乙野次郎において「おう。」と、それぞれ応じたので、被告人甲野太郎において、右意思連絡に基づき、右手親指を同人の頸動脈辺りに強く押し付け、左手でその首筋辺りの着衣を掴んで頸部を強く締め付け、その場にあった布袋(昭和六〇年押第四六七号の11)で同人に猿ぐつわをし、更に、バスタオル(同号の10)及びロープ(同号の5)を同人の頸部に巻き付けて締め付け、よって、そのころ、同所で同人を窒息死させて殺害し、同人所有の現金約七二〇万円、野村証券株式会社発行の株式預り証一二通(その株式の時価合計四、五〇八万九、〇〇〇円相当)及びライター、腕時計、指輪等一九点(時価合計約八七〇万六、〇〇〇円相当)を強取した。

2  前同日午後一〇時ころ、前同所において、被告人三名は、右1の犯行に引き続き、Aの死体を遺棄することを共謀の上、右死体を前記別荘二階八畳間から階下に運び降ろし、被告人三名において、交互にスコップを使用して一階北側六畳間の床下に深さ約一メートルの穴を掘り、右死体を同穴に埋め、もって、Aの死体を遺棄した

3  被告人三名は、右1及び2の各犯行後、犯跡を隠蔽するため、翌一二日再度前記別荘に赴いて後始末をすることを約したが、当日、被告人丙野三郎から韓国へ逃亡する旨の一方的な連絡があり、被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の両名でこれを行う次第となった際、それまで右両名は、被告人丙野三郎を介しての付き合いであり、殆ど直接口をきくことがなかったので、初めて互いに本名を名乗り合い、身勝手な被告人丙野三郎に対して共に憤慨するうち、相互に親近感を抱き、後始末を十分にするため、同月一五日に二人で重ねて同別荘に赴くことを約した。

同月一五日早朝、被告人甲野太郎は、普通乗用自動車を運転して、東京都国分寺市所在の前記B方に被告人乙野次郎を迎えに行き、二人で前記別荘へ向かう車中において、Aを殺害して奪った現金が予想よりも少なく、以前同様の窮乏状態に陥っていたところから、かねて折衝中のEを殺害し、その死体を遺棄して、その所持金、同女方の金品等を強奪する決意を固め、被告人乙野次郎に対し、「Eは来週中には金を準備できることになっている。そうしたらEをやることになるだろうから、この際別荘にE用の穴も掘っておいたらどうだ。」などと申し向けるや、被告人乙野次郎においても、「穴位掘っておいた方がいざというとき楽だな。」などとこれに応じた上、途中両名で雑貨店に立ち寄ってスコップ等を購入し、午前一〇時過ぎころ前記別荘に到着した後、被告人乙野次郎において、屋外に穴を掘ってA殺害時の衣類等を焼却し、被告人甲野太郎において、同別荘一階南側六畳間の床下にE用の穴を掘るなど、作業を分担し、ここに右被告人両名の間において、Eを殺害し、その死体を遺棄して、その所持金、同女方の金品等を強奪することにつき共謀が成立した。

その後、被告人甲野太郎は、Eと連絡をとり、同女が前記天王台の土地を担保とする融資話に依然乗り気で、自己資金なら二、〇〇〇万円を用意して一〇月二五日に取引できる状況であることを知るや、これに乗じて同女に対する前記犯行計画を実行すべく、被告人乙野次郎とその旨意思連絡の上、同月二二日ころ、同女に対し、意向に副う取引をしたいので一〇月二五日午後一時ころ同女方まで迎えに行く旨連絡し、同月二三日ころ、被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の間において、犯行当日、被告人甲野太郎が運転する普通乗用自動車の後部座席に被告人乙野次郎が地主の息子役として乗り、助手席に被害者を乗せ、犯行に適当な場所に至った際被告人甲野太郎の合図により、被告人乙野次郎が準備したロープで被害者の首を締めること、殺害後死体を前記別荘まで運び床下に埋めること、などの具体的な犯行方法について打ち合わせをした。

そして、同月二五日朝、被告人甲野太郎は、埼玉県上尾市谷津○丁目○○番○○号所在の△△マンション内E方に架電し、同女が前記融資話を未だ信用していることを確認し、現金二、〇〇〇万円の持参方につき同女の了解を得た上、午前一一時ころ、普通乗用自動車を運転して前記B方に赴き、同所で犯行用の綿製のロープ、着替え等を準備していた被告人乙野次郎を乗せた後、E方へ向かい、途中同女方に一人で行くほうが怪しまれないと考え、同女方付近で被告人乙野次郎を一旦降ろして待機させ、午後一時ころ、同女方を訪れ、前記融資話を信じ、現金二、〇〇〇万円をバッグ中に所持する同女を難無く同車助手席に乗せる運びとなるや、直ちに被告人乙野次郎が待機する場所に戻り、同所で同女に同被告人を地主の息子である旨紹介し、同被告人を同車後部座席に乗り込ませた。その後、引き続き被告人甲野太郎が同車を運転し、国道一七号線から同線バイパスなどを犯行に適当な場所を探しながら走行したが、それを探し出せずに時を過ごし、進路に不安を抱いた同女から問い掛けられ、適当にごまかすなどしたものの、次第に被告人両名においても焦りを感じながら走行を続けるうち、Eが居眠りを始めるや、これを認めた被告人甲野太郎が同車を人通りの少ない脇道へ進め、午後二時ころ、浦和市大字大門字椚谷四八一番地先路上に至った際、被告人乙野次郎において、同女が居眠りしたことを教えようとした被告人甲野太郎の動作を打ち合わせの合図と早合点し、いきなり後部座席から身を乗り出して助手席の同女の頸部に準備した綿製ロープを巻き付け、強く引っ張り、同女の上体を運転席と助手席の間に引きずり込み、両手を交差して同ロープを力一杯締め始めるに及び、被告人甲野太郎においても、直ちにこれを了解した上、これに加功すべく左手で同女の右肩を押さえながら運転を続け、間もなく締める手が痛くなった被告人乙野次郎から助勢を求められ、同市大字大門五五九番地の二先路上で停車し、運転席に座ったまま被告人乙野次郎と替わって同ロープの両端を握り、同女の頸部左側で交差させて強く締め付け、その場で同女を気絶させるに至った。これを見て右被告人両名は、同女が死亡したものと思い込み、かねての打ち合わせどおり死体の前記別荘まで運ぶため、一旦準備した毛布を助手席の同女にかけたまま走行し始めたが、人目につくことをおそれ、同所付近の林の中で同女を後部トランク内に隠した上、被告人甲野太郎が再び同車を運転し、中央自動車道に入り、河口湖インターチェンジを経由して、右別荘へ向かった。

同日午後四時三〇分ころ、被告人甲野太郎の運転する同車が山梨県南都留郡山中湖村平野字中尾○○番地○○所在の前記別荘前路上に到着し、同別荘敷地内に停車した後、Eの死体を別荘床下に埋めるべく、被告人甲野太郎が同車後部トランクを開けたところ、トランク内で肩辺りを痙れんさせ、うめき声を出して生きていた同女の姿を見るに及び、被告人両名は一瞬驚愕したものの、同所で「往生際の悪い奴だ。」などと言葉を交わしていた折柄、偶々同所前道路をハイカーらが通り掛かるのを認め、ここに右被告人両名において、ハイカーらにこれを気付かれまいとするとともに、同女を殺害し遂げる意思を相通じた上、被告人甲野太郎において、トランクを開けて用をしているのを装いながら、左手で同女の頸部を強く締め付け、右手でその鼻孔部と口部を押さえて塞ぎ、被告人乙野次郎において、その場を被告人甲野太郎に任せて目立たぬように同車の傍から離れるなどして、ハイカーらをやり過ごし、その間、被告人甲野太郎が同女の頸部を締め付け、その鼻孔部と口部を塞ぎ続けたことにより、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害し、同女所有の現金二、〇〇〇万円、同女名義の総合口座通帳一通(預金残高一〇七万二、五六〇円)及び腕時計、指輪等三点(時価合計約二〇万五、〇〇〇円相当)を強取したほか、同月二七日午前二時ころ、埼玉県上尾市谷津○丁目○○番○○号所在の△△マンション内同女方において、同女所有の指輪四点(時価合計約二、一〇〇万円相当)及び毛皮コート七着(時価合計約五八六万円相当)を強取した。

4  被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎は、右3のE殺害直後の同月二五日午後四時三〇分ころ、前記共謀に基づいて、毛布に包んだ同女の死体を前記別荘一階南側六畳間に運び込み、その上着、セーター、スカート等の着衣を脱がし、かねて同室床下に掘つておいた深さ約八〇センチメートルの穴に右死体を埋め、もって、Eの死体を遺棄した

5  被告人甲野太郎は、右3のEから強取した同女名義の埼玉銀行上尾支店発行の総合口座通帳、印鑑等を使用して預金払戻名下に金員を騙取しようと企て、Cと共謀の上、同月二七日午前一一時二〇分ころ、東京都中央区京橋一丁目三番一号所在の埼玉銀行東京営業部において、情を知らないHを利用し、行使の目的をもって、ほしいままにボールペンで同所備付けの普通預金払戻請求書用紙中の払戻請求日欄に「59 10 27」、金額欄に「\1060000」、払戻請求者欄に「E」と各冒書し、届け印欄に「E」と刻した印鑑を冒捺し、もって、E作成名義の普通預金払戻請求書一通(同号の1)を偽造し、即時同所において、同営業部係員に対し、これをあたかも真正に成立したもののように装って前記総合口座通帳と共に提出行使して普通預金の払戻方を請求し、同係員をして、右普通預金払戻請求書が真正に成立したもので正当な権利者による払戻請求である旨誤信させ、よって、そのころ同所において同係員から現金一〇六万円の交付を受けてこれを騙取した

6  被告人乙野次郎は、同年一一月二四日、前記B方において、新聞により被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎がA殺害の容疑で前日逮捕されたことを知るや、前記1ないし4の各犯行の発覚をおそれ、これを隠蔽するために前記別荘床下に埋めたA及びEの各死体を他の場所に埋め替えて遺棄しようと決意し、分離前の相被告人庚野四郎と共謀の上、同日午後六時過ぎころ、同別荘において、一階南側六畳間の床下の土中に埋めたEの死体を掘り出し、布団袋に包み、ロープで縛り、同別荘近くに駐車中の普通乗用自動車の後部トランク内に積み込み、引き続き一階北側六畳間の床下の土中に埋めたAの死体を掘り出し、布団袋、カーテンに包み、ロープで縛り、同車の後部トランク内に積み込んだ後、被告人乙野次郎が同車を運転して、同別荘から約二八キロメートル離れた神奈川県秦野市渋沢字神明三、一二八番地先路上まで運搬し、同日午後一〇時過ぎころ、同所において、右各死体を一体ずつ同車からおろし、約一二〇メートル引きずるなどして付近の山林内まで運び、同所に深さ一メートルの穴を掘り、右各死体を同穴にそれぞれ埋め、もって、E及びAの各死体をそれぞれ遺棄した

ものである。

第二証拠の標目〈省略〉

第三法令の適用

罪となるべき事実欄中、1及び3の各行為は、いずれも刑法六〇条、二四〇条後段に、2、4及び6の各所為は、いずれも同法六〇条、一九〇条に、5の所為中、有印私文書偽造の点は同法六〇条、一五九条一項に、同行使の点は同法六〇条、一六一条一項に、詐欺の点は同法六〇条、二四六条一項に、それぞれ該当するところ、5の有印私文書偽造罪と同行使罪と詐欺罪との間には順次手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により最も重い詐欺罪の刑(短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる)で処断することとし、後記量刑事情を考慮した上、所定刑中、被告人甲野太郎については1の罪につき無期懲役、3の罪につき死刑を、被告人乙野次郎については1の罪につき無期懲役、3の罪につき死刑を、被告人丙野三郎については1の罪につき無期懲役を、それぞれ選択するところ、被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の以上の各罪はそれぞれ同法四五条前段の併合罪であるが、いずれも3の罪につき死刑を選択したので、同法四六条一項本文により他の刑を科さず、被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎をそれぞれ死刑に処し、被告人丙野三郎の右各罪は同法四五条前段の併合罪であるが、1の罪につき無期懲役を選択したので、同法四六条二項本文により他の刑を科さず、被告人丙野三郎を無期懲役に処し、押収してある普通預金払戻請求書一通(昭和六〇年押第四六七号の1)の偽造部分は5の有印私文書偽造罪により生じた物であるとともに偽造有印私文書行使罪を組成した物であって、なんぴとの所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、三号、二項本文を適用してこれを被告人甲野太郎から没収し、押収してある胸像一体(同号の2)及び絵画一点(同号の3)はいずれも1の罪の贓物でその被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により右各贓物を被害者Aの相続人に還付し、訴訟費用については同法一八一条一項但書を適用して被告人三名に負担させないこととする。

第四量刑の理由

一本件各犯行の概要等

本件各犯行は、犯行当時、被告人甲野太郎において約一億五、〇〇〇万円、被告人丙野三郎において約一億一、六〇〇万円、被告人乙野次郎において七億円余の、いずれも巨額の負債を抱えて金員調達に苦慮していた被告人三名が、一攫千金を狙い、共謀の上、資産家を土地の取引話等に藉口して誘き出し、拉致して所持金等を奪い、脅かして預金の口座番号、キャッシュカードの暗証番号等を聞き出した上で殺害し、その死体を土中に埋めるなどして、いわゆる完全犯罪を遂行しようとした一連の計画的な犯行である。そして、被告人三名の本件各犯行に対する関わりかたをみると、被告人甲野太郎は、債権者ら、就中警察在職当時の同僚、部下らの生活的な破綻に瀕した切実な督促に苦渋し、借金返済のためには不正な手段も辞さない追い詰められた気持から、右の完全犯罪としての強盗殺人計画を敢行する決意を固めるに至ったものであり、この間、同被告人と打算的な付き合いを続けていた被告人丙野三郎は、暴力団関係者からの厳しい債務取立てに畏怖し、早急に金員を調達する必要に迫られたため、被告人甲野太郎の右強盗殺人計画の遂行に応ずるに至ったものであり、そして自暴自棄の境遇に追い込まれていた被告人乙野次郎は、被告人丙野三郎から言葉巧みに右強盗殺人計画遂行の仲間に入ることを誘われ、これに応じて、次第に積極的に加担するに至ったものであり、その結果、被告人三名は、判示「犯行に至る経緯」において認定したとおり、天王台の土地の融資話に藉口して一旦Fを誘き出したが、右融資話の虚偽であることが発覚したため、犯行に着手することもできず失敗に終わり、その後、更に犯行計画を練り、被害者となるべき者を物色し、遂にAを被害者として、判示「罪となるべき事実1及び2」において認定したとおり、共謀の上、宝石取引話に藉口し金持ちに扮した被告人乙野次郎から大金を騙取することを装って、巧妙にAを人気もない山中湖畔の空別荘へ誘い込み、同所で被告人三人が同人に襲い掛かり、その強い抵抗を受けて預金の口座番号等を聞き出すことは断念したものの、同人を殺害し、所持金品を強取した上、その死体を別荘床下の土中に埋めて遺棄する凶行に及び、次いで、判示「罪となるべき事実3及び4」において認定したとおり、右凶行後国外へ逃亡した被告人丙野三郎に憤慨するとともに相互に親近感を抱いた被告人甲野太郎と被告人乙野次郎は、共謀の上、天王台の土地の融資話に藉口してすでに誘い出して金員準備の都合上折衝中であつたEを被害者として、前記凶行の僅か二週間後、右融資話で巧妙に同女を誘き出し、車中でその頸部にロープを巻き付け強く締めて気絶させ、前記山中湖畔の別荘敷地内まで運び、同所で蘇生していた同女の頸部を強く締め付けるなどして同女を殺害し、所持金品のほか同女方の物品を強取した上、その死体を前同様別荘床下の土中に埋めて遺棄する凶行に及び、更に、被告人甲野太郎は、判示「罪となるべき事実5」において認定したとおり、Cと共謀の上、Eから強取した銀行総合口座通帳、印鑑等を使用して、同女作成名義の普通預金払戻請求書一通を偽造し、これを銀行係員に提出行使した上、普通預金払戻名下に現金を騙取するに及び、また被告人乙野次郎は、被告人甲野太郎と被告人丙野三郎が逮捕されたことを知るや、自己の各犯行の発覚をおそれて、使用人であった分離前の相被告人庚野四郎と共謀の上、A及びEの各死体を更に遺棄するに及んだものであって、結局、以上の各犯行は、被告人甲野太郎が企図し、これに被告人丙野三郎及び被告人乙野次郎が順次参画した完全犯罪としての強盗殺人計画の遂行に相互に密接に関連し合う凶悪にして残虐極まりない所業であると言わなければならない。

二被害者A関係

被告人三名により敢行された判示「罪となるべき事実1及び2」の各犯行における被害者Aは、事件当時宝石ブローカー等を営む身長約166.4センチメートル、体重約76.5キログラムの精悍な満三六歳の男性であったが、福島県郡山市内において農業等を営む亡父I、母Jの非嫡出子として出生し、幼時父方に引き取られ、異母兄弟等と養育される複雑な家庭環境の中で地元の中学校を卒業し、集団就職で上京した後、工員、土木作業員等の職を転々としながら、独力で宝石ブローカー等を営むようになり、婚姻歴がなく、昭和五八年六月ころからKと同棲していたものであるが、商売柄日常高額の金品を持ち歩いていたことから、不運にも被告人三名の強盗殺人計画の標的として狙われ、虚構の宝石取引話を持ち掛けられて、欲に目が暗み、これに乗り気となるや、被告人らが種々虚言を弄し、被告人乙野次郎を宝石の買主役に仕立てるなどした上、巧妙に人気もない山中湖畔の空別荘内に連れ込まれ、同別荘二階八畳間において、宝石取引話を信じ込み持参した指輪等の説明をし始めたところ、いきなり被告人甲野太郎から「芝居はやめだ。まだ分からないのか。馬鹿野郎。」などと怒嗚られると同時に襲い掛かられ、次いで被告人乙野次郎からも襲われ、更に被告人丙野三郎も加わり、三人がかりの強烈な暴行を加えられて、助けを求めながら必死に逃げ回ったものの、遂に被告人らに押さえ込まれて身動きもとれなくなった状態で、頸部を被告人甲野太郎により強く締め付けられて殺害されるに至ったものであって、同人が本件犯行により非業の最期を遂げた無念さと苦痛、とりわけ犯行現場において被告人らに欺かれたと気付いた時から激烈な暴行を受けて遂に命を絶たれるまでの恐怖と苦悶には、察するに余りあるものがある。

加えて、右犯行の結果、被害者は、所持した現金約七二〇万円、時価約八七〇万円余の指輪等及び株式時価合計約四、五〇〇万円余の株式預り証の極めて高額の金品を被告人三名により強取されたばかりか、その遺体は、犯跡隠蔽のために同別荘床下の土中に埋められ、その後更に被告人乙野次郎及び分離前相被告人庚野四郎により埋め替えられるに至ったものであって、本件殺害後五一日を経てこれが発掘された際には、正視に耐えない姿に変わり果てており、死因を鑑定することさえできないほど無残な有様となっていたものであり、殊に殺害時に猿ぐつわとして使用された布袋、頸部に巻き付けられたバスタオル等に浸透した死腐臭は、事件発覚後三年を経過した今日に至ってもなお残存し続けて、本件各犯行の凶悪・残虐さを物語って余りあるものがある。

なお、右各犯行の発端として、被害者において、被告人らと組んで宝石取引で資産家から金員を騙し取ろうとの話に乗り気になり、欲に目が暗んだ点に落度がなかったわけではないが、被告人らの右各犯行はこれを見越した上で企図し、敢行されたものであるから、被害者の右落度を責めることは酷と言うべきである。

従って、本件各犯行により蒙った被害者本人の無念さと苦痛はもとより、その遺族の心中にも極めて痛恨なるものがあり、その実母、養母、兄弟、Kらの遺族が悲しみにうちひしがれ、揃って被告人三名に対して極刑を強く望んでいることは、無理からぬところである。

三被害者E関係

被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の両名により敢行された判示「罪となるべき事実3及び4」の被害者Eは、事件当時金融業を営む気丈な満六一歳の女性であったが、宇都宮市内において煙草の品質鑑定等をしていた亡父L、亡母Mの五女として出生し、国民学校を卒業して上京した後、デパートの裁縫部勤務、レストラン経営等をするうち、埼玉県内に転居して金融業を営むようになり、婚姻歴がなく、男勝りの性格で長年に亘り蓄えた結果、昭和五六年ころ埼玉県上尾市谷津地内に「△△マンション」を建築し、その一角に一人住いをしていたものであるが、被告人甲野太郎と知り合いであったところから、当初同被告人が被告人丙野三郎に協力方を求めて遂行しようとした強盗殺人計画の標的として狙われ、天王台の土地の融資話で誘き出されて現地まで案内されたが、その時点では金策がつかず、一亘は難を免れかけたものの、再度巧妙に右融資話を申し向けられるや、不運にも被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の両名に欺かれて誘き出され、乗車中の助手席で無警戒で居眠りしたところを、後部座席の被告人乙野次郎より、いきなり背後からロープでその頸部を力任せに締め付けられ、更に、これに助勢した被告人甲野太郎からも引き続き強く締め付けられて気絶し、その後山中湖畔の別荘敷地内までトランク内に詰めて運ばれ、同所で蘇生していたにもかかわらず、「往生際の悪い奴だ。」などと右被告人両名により冷酷なやりとりをされた後、同所で更に頸部を締め付けられるなどして、遂に殺害されるに至ったものであって、同女が本件犯行により蒙った筆舌に尽くし難い苦痛、とりわけ頸部を締め付けられて気絶し、長時間の搬送に耐えてなお蘇生するほど生命力の強さが残されていたのに、更に強烈な暴行を受けて遂に命を絶たれるに至った無念さには、憐憫の情を禁じ得ないものがある。

加えて、右犯行の結果、被害者は、所持した現金二、〇〇〇万円、預金通帳(預金残高約一〇七万円)、時価約二〇万円余の腕時計等のほか、同女方の時価約二、七〇〇万円相当の貴金属等を強取されたばかりか、その遺体は、犯跡隠蔽のために同別荘床下の予め用意された穴に埋められたものであり、その際遺体が腐り易いように着衣をはぎ取るなどの恥辱を加えられ、その後更に、被告人乙野次郎及び分離前相被告人庚野四郎によりこれを他所へ埋め替えられるに至ったものであって、本件殺害後三七日を経てこれが発掘された際の状況は、被害者Aの場合と同様であって、変わり果てた姿で死因を鑑定することさえできないほどの無残な有様は、本件各犯行がいかに凶悪にして残虐なものであったかを証して余りあるところである。

従って、本件各犯行により蒙った被害者本人の苦痛と無念さはもとより、その兄弟らの心中にも極めて痛恨なるものがあり、被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎に対する処罰感情に厳しいものがあることは、無理からぬところである。

なお、被害者Eは、被告人甲野太郎との関わりにおいて、同被告人が長男甲山始名義で借りた金員の返済を求めた際、当時右始が勤務する神田警察署にまで押し掛けたこと、同被告人の妻花子に対して穏当さを欠く言動で債務の弁済を迫ったことなどが認められるけれども、右は本件各犯行をいささかも正当化するものでないことはもとより、これらが本件発生につながる落ち度として評価することのできないことも明らかである。

四被告人甲野太郎の刑事責任

被告人甲野太郎が関与したのは、判示「罪となるべき事実1ないし5」の各犯行であり、同被告人が本件各犯行を敢行するに至った経緯、動機は、既に認定したとおりであるが、要するに、警察在職当時の借金を退職金で穴埋めして警視庁警部を退職した同被告人が、確たる見通しもないまま、約四、〇〇〇万円にのぼる借入れをして大衆割烹店の営業を始めたものの、間もなく行き詰まり、前後の見境もなく親類をはじめ、かつての同僚、部下、更に高利貸等から手当たり次第借金を重ね、総額約一億五、〇〇〇万円の負債を抱えて経済的に破綻した生活を送るうち、当初不正な手段によってでも金員を入手したい気持から行動してみたがうまくいかず、次第に自己の苦境を打開するためには人を殺害してでも大金を手に入れるほかなしと考え、強盗殺人計画の遂行を企図するに至ったものである。

なお、同被告人は当公判廷において、右犯行計画を考えるに至ったのは、警察在職当時の同僚、部下らからの借金を返済するための責任感がこれに結びついた面と、ドストエフスキーの「罪と罰」における主人公の犯行に影響された面がある旨供述するが、同被告人が元同僚、部下らからの切実な督促に苦渋していたことは認められるものの、本件各犯行により強取した金員の使途をみると、元同僚、部下らへの返済に充てた金額は極めて僅かであるから、その供述自体に矛盾するところがあると言わざるを得ず、また、同被告人の「罪と罰」に対する理解はいささか浅薄であり、しかもこれを公判廷で憶面もなく述べること自体、同被告人の経歴等からみて理解に苦しむところであり、いずれもその内省の欠如を示すものと言うべきであって、これらの点を含め、同被告人の本件犯行に至る動機形成については、何ら酌むべきものがなく、これを厳しく非難しなければならないものである。

そして、被告人甲野太郎は、本件一連の計画的な犯行において、犯行計画の立案、それに基づく共同意思の形成、被害者らを誘き出すための折衝などの面で主導的な役割を果たした上、殊に実行行為の面でも、Aに対する強盗殺人事件では、被害者の頸部を締め付ける殺害行為を専ら担当し、また、Eに対する強盗殺人事件では、当初被告人乙野次郎が被害者の頸部を締め付け、被告人甲野太郎がこれに助勢したが、同女を遺棄すべく赴いた山中湖畔の別荘敷地内で同女が蘇生していたことに気付くや、被告人甲野太郎において、「往生際の悪い奴だ。」などと言った上、何ら躊躇することなく、頸部を締め付けるなどの止めを刺す行為に及んでいるのであって、まさに右各犯行における主役を果たしているのである。要するに、被告人甲野太郎は、本件一連の凶悪にして残虐な犯行を主導的な立場で連続して冷酷、かつ、大胆に遂行しているのであって、それは人間としての良心の片鱗すら見い出し難い所業であると言わなければならない。なお、本件各犯行後、同被告人が被告人乙野次郎と謀って、その口を封ずるために被告人丙野三郎を殺害する準備をしていた事情のあることも看過し難いところである。

特に、被告人甲野太郎の罪責についてみる場合に留意しなければならないのは、その警察官としての経歴である。同被告人は、昭和三三年九月警視庁巡査を拝命した後、二一年余に亘つて勤務し、昭和五五年一月退職する際には警部にまで昇任したものであり、退職して僅か四年後に、本件強盗殺人事件を連続的に敢行したものであって、右の経歴からはもとより、自己の家庭における立場、殊に当時長男が現職警察官であったことなどに思いを至せば、到底犯行に及ぶことのあるはずがない立場に置かれた者の凶行として、その家族、親族の驚き、嘆きは言うまでもなく、警察組織に与えた衝撃は甚大であり、更に、社会一般に及ぼした不安感にも重大なるものがある。

以上の諸事情を考慮すると、被告人甲野太郎は、捜査及び公判の各段階を通じて、本件各犯行に至る経緯、動機、犯行態様等の事件の全体像をほぼ自供しており、事件に対する反省・悔悟の情も認められ、また、もとより前科・前歴がないことなど、同被告人にとって酌むべき事情も存するが、これらを十分に考慮し、更に、その他一切の情状を慎重に考慮するとしても、同被告人の本件各犯行に対する刑事責任は余りにも重大であり、これを厳峻に問うべきものであると言わなければならない。

五被告人乙野次郎の刑事責任

被告人乙野次郎が関与したのは、判示「罪となるべき事実1ないし4及び6」の各犯行であり、同被告人が本件各犯行を敢行するに至った経緯、動機は、既に認定したとおりであるが、要するに、事業等に失敗して七億円余の負債を抱え、自暴自棄の荒んだ生活を送っていた時期に、これを見透かした被告人丙野三郎からFを拉致する件への加担を言葉巧みに誘われるや、同被告人が再三不義理をしたものであるにもかかわらず、生来お人好しで思慮に欠ける面があるところから、これに安易に応じ、当初は計画の内容等につき十分了解しないまま、被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎に付随して行動していたが、元警視庁警部と一緒だから絶対に捕まらない旨強調する被告人丙野三郎の言を信じ込み、次第に積極的に加功するに至ったものであり、特に右動機面で看過し難い点は、Fを拉致する件が失敗した直後、被告人乙野次郎が被告人甲野太郎らに対して、金だけを狙うのではなく被害者への怨恨もある犯行であれば参画できない旨を表明して、相手が誰であれ自己の金銭的欲求を満たすために人命を奪おうとする自己中心的で非情になり切った態度を明確にしていることであり、そしてこの態度でA及びEに対する各強盗殺人、死体遺棄事件に臨んでいるのであって、その動機において厳しく非難されるべきものがある。

そして、被告人乙野次郎は、本件各犯行において、Aに対する強盗殺人事件では、犯行計画を立てる段階においてこそ被告人甲野太郎及び被告人丙野三郎に対比して従属的であったが、犯行当日には、偽の宝石買主に扮し、Aに見破られることなく同人を山中湖畔の自己が元所有した別荘に誘い込むことに成功し、相被告人らとともに同人に暴行を加えた上、被告人甲野太郎が同人の頸部を締め付ける際には、その右上腕部辺りを押さえ付けるなどしており、強取金員の分配を対等に受けているばかりでなく、強取品の処分に関しても重要な役割を果たしているのであり、また、Eに対する強盗殺人事件では、自ら犯行用の綿製ロープを準備した上、車中で後部座席から身を乗り出して助手席の同女の頸部に右ロープを巻き付けて締める殺害行為の着手に及んだほか、山中湖畔の別荘敷地内で蘇生していた同女に対し被告人甲野太郎がその頸部等を締める際、「往生際の悪い奴だ。」などとやりとりをした後、通り掛かったハイカーらに気付かれないようにその場を要領よく離れて、同被告人の右止めを刺す行為をやり易くさせており、強取金員の分配も同被告人と対等に受けているのであって、いずれの事件においても、被告人乙野次郎は、犯行に不可欠にして重要な役割をそれぞれ分担しているのであり、加えて一連の各死体遺棄事件を冷酷、かつ、大胆に敢行しているものであって、そこには人間としての良心の片鱗すら見い出し難く、相被告人らの責任の重大さと対比して何ら径庭はないものと言わなければならない。なお、本件各犯行後、同被告人が被告人甲野太郎と謀って、その口を封ずるために被告人丙野三郎を殺害する準備をしていた事情のあることは、それまでの同被告人の不誠実な態度等を考慮するとしても、やはり責められるべきものである。

ところで、被告人乙野次郎の弁護人は、A事件に関し、同被告人には強盗殺人についての事前共謀が認められず、単に現場共謀が成立するのみである旨主張し、同被告人も当公判廷においてこれに副う供述をするに至っているが、判示「罪となるべき事実1」において認定したとおり、Fを拉致する事件が失敗した経緯、本件犯行前後の状況等からみて、遅くとも昭和五九年一〇月一一日の午前中には被告人三名の間にAに対する強盗殺人の共謀が順次成立したことが明らかであり、これに抵触する同被告人の供述部分は、いずれも不自然、かつ、不合理なものであって、これを採用することができず、かえってかかる供述をするに至ったこと自体、同被告人の本件に対する反省の情においていささか疑問を抱かせるものがあると言わなければならない。

以上の諸事情を考慮すると、被告人乙野次郎は、捜査及び公判の各段階を通じて、本件各犯行に至る経緯、動機、犯行態様等事件の全体像を比較的素直に自供していること、同被告人が本件各犯行に加担する切っ掛けは、被告人丙野三郎の巧妙な誘いがあったればこそであって、これさえなければと悔やまれるとともに、同被告人に付け込まれたことが被告人乙野次郎の人生を破滅に導くに至った一因でもあって、同被告人の性格からみて気の毒な一面もあること、これまで罰金前科二犯を有するのみであること、などの被告人乙野次郎にとって酌むべき事情も存するが、これらを最大限斟酌し、更に、その他一切の事情を慎重に考慮するとしても、同被告人の本件各犯行に対する刑事責任は余りにも重大であり、被告人甲野太郎と同様に、これを厳峻に問うべきものであると言わなければならない。

六被告人丙野三郎の刑事責任

被告人丙野三郎が関与したのは、判示「罪となるべき事実1及び2」のAに対する強盗殺人、死体遺棄の各犯行であり、同被告人が本件各犯行を敢行するに至った経緯、動機は、既に認定したとおりであるが、要するに、久しく定職も持たず、約一億一、六〇〇万円の負債を抱えていた同被告人は、昭和五九年八月ポーカーゲーム店経営を目論んでいた被告人甲野太郎に金主を紹介する触れ込みで近付き、金主を紹介しないばかりか、実行する気もない韓国人資産家の隠匿金員の強奪話などをして、言葉巧みに同被告人の気を引きながら、クレジットカードを借り受けて相当額の消費をするなど、同被告人をいわば食い物にしているうち、自己の負債の一部が暴力団関係者に回って強硬な取立てを受ける始末となったことから、これを極度に畏怖し、早急に金員を調達する必要に迫られるに及び、被告人甲野太郎が企図した強盗殺人計画の遂行に協力するに至ったのであり、また、その後、自己の打算からこれまで多額の援助を受けて数々の恩義のある被告人乙野次郎に対し、同被告人が事業の失敗等で窮状にあることに付け込み、言葉巧みに右犯行計画の遂行に参画させるに至ったのであり、しかも、Fを拉致しようとした事件から本件Aに対する強盗殺人事件を通じて、例えば被告人甲野太郎と被告人乙野次郎が互いに口をきくことのないよう配慮するなど、あくまでも自己を中心に右犯行計画が遂行されるよう仕組んでいるのであって、その動機において何ら酌むべきものがなく、極めて悪辣であり、これを厳しく非難しなければならないものである。

そして、被告人丙野三郎は、本件犯行において、すでにCの紹介で面談した折に虚構の宝石取引話を持ち掛けて乗り気にさせていたAに対する強盗殺人計画の遂行に加担することを決意するや、犯行当日の段取りを決めるに当たり、自己がいわば司令官として行動することにつき被告人甲野太郎及び被告人乙野次郎の了解を暗黙裡に得た上、「池袋プリンスホテル」で落ち合った被告人甲野太郎とAを赤坂見附の喫茶店に呼び寄せるとともに、「ホテルパシフィック」に着いた被告人乙野次郎を「渋谷東急イン」へ向かわせ、同所で同被告人を厚木の地主で宝石等の買主であると称してAに紹介した後、四人が乗り被告人甲野太郎が運転する車を厚木方面へ進行させ、途中Aが警戒心を抱かないよう世間話などをして山中湖畔の元被告人乙野次郎所有の別荘内まで同人を連れ込み、更に、犯行現場の別荘二階では、被告人甲野太郎に対し、「そろそろ始めろよ。」と犯行開始の指示をし、Aに対する暴行開始後自らも同人の身体を蹴るなどの暴行を加え、同人の抵抗が激しいため一気に締め殺すほかなしと考えた被告人甲野太郎からその旨の了解を求められて、「よし、やれ。」などと応答しており、更に、殺害後の強取金員の分配を被告人丙野三郎がしており、しかも同被告人が最も多額の金員を手にしているのであって、これらすべて本件犯行が同被告人の指図どおりに進行したことを物語るとともに、本件犯行において同被告人の果たした役割が、被告人甲野太郎のそれに勝るとも劣らずに重要なものであったことを証して余りあるものと言わなければならない。

ところで、被告人丙野三郎は、当公判廷において、捜査段階における供述を翻し、本件犯行についての共謀関係を全面的に否認するに至り、事実関係についても悉く争い、実行行為にも出ておらず、同被告人が犯行現場に赴いたのは、相被告人らの犯行を思い止まらせるためであった旨供述し、同被告人の弁護人もこれに副う主張をするが、関係証拠を総合すると、判示「犯行に至る経緯」及び「罪となるべき事実1」における各事実関係は、これを優に認定することができ、これに抵触する同被告人の供述部分は、いずれも不自然、かつ、不合理な荒唐無稽のものであって、到底これを措信することができないのであり、かかる供述をするに至ったこと自体、同被告人の本件に対する反省の情の欠如を露呈するものであって、甚だ遺憾な事態であると言わざるを得ない。

従って、被告人丙野三郎は、Aに対する凶悪にして残虐極まりない本件犯行を狡猾、かつ、冷酷に敢行しているのであり、しかも直ちに国外に逃亡するなど犯行後の行状も悪質であって、同被告人の刑事責任もまた極めて重大であると言わなければならず、他方において、同被告人には、主に外国人登録法違反の罰金前科が六犯あるのみで自由刑の前科がないこと、家族思いの一面があったこと、などの酌むべき事情も存するが、これらを最大限斟酌するとしても、同被告人については、被告人甲野太郎に準じて、その刑事責任を厳しく問う必要があるものと言わなければならない。

七結論

この社会において、およそ、物欲を満たすために尊い人命を奪う凶行ほど、人倫に違背するものはなく、いかなる時代にあっても断じて許されざる所業であるところ、本件においては、かかる凶行が二件連続して敢行されているのであり、しかもこれらは、いずれもその計画性、犯行態様、結果等において稀にみる凶悪にして残虐極まりないものである。殊に、これらを主導的に敢行した者が、元警視庁警部の経歴を有したがために、本件が社会一般に及ぼした不安感には深刻なるものがあり、もとより警察組織に与えた衝撃は甚大であり、警察当局がこれまで築きあげてきた国民の信頼感を動揺せしめた面においても看過し難いものがある。また、近時、物欲を満たすため、さしたる抵抗感もなしに、人命を奪う凶悪事犯が頻発している折柄でもあり、本件に対しては、とりわけ厳正な態度をもって臨む必要があるものと言わなければならない。

そこで、以上認定した本件各犯行における動機、態様、罪質及び結果、遺族らの被害感情、本件各犯行の社会的影響、本件各犯行後の情状、被告人三名について酌量すべき情状、その他の諸般の事情を総合して考慮すると、検察官の被告人三名に対する求刑は、いずれもまことにやむを得ないものと思料される。

よって、被告人甲野太郎を死刑に、被告人乙野次郎を死刑に、被告人丙野三郎を無期懲役に、それぞれ処することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中山善房 裁判官角田正紀 裁判官森光雄)

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